損切りになった3分後、価格がするすると戻っていく。あの光景を私は画面の前で何十回も見てきました。
「切らなければ、勝てていた」。
この一文が頭に住み着いた日から、私の負けは大きくなりました。損切りが下手になったからではありません。損切りを疑い始めたからです。
今日は、この一文から抜け出した話をします。

「切らなければ勝てた」は、次のトレードで請求される
戻っていく相場を見た夜、人は静かに学習します。「切らなければ、助かった」と。
その学習は、次のトレードで効いてきます。決めた場所に来ても、少しだけ粘る。次はもう少し粘る。粘りが何度か助けてくれると、確信に変わります。そしていつか来る本物の下落の日に、それまでの小さな「助かった」を全部まとめて利息付きで持っていかれる。
小さく勝って大きく負ける人は最初からそうだったわけではないはずです。「戻ってきた相場」を何度か見て、そう作られていく。私がそうでした。

損切りの場所は、私の根拠が死ぬ場所
そもそも損切りはどこに置くものか。私の答えは一つです。入る根拠が否定される場所。
私は押し目が二度踏ん張った形——ダブルボトム——を確認します。そして二つの底の間にできた戻り高値を価格が上へ抜けたところに、買いの注文を置きます。だから損切りはその底の下。そこを割るということは、「踏ん張った」という私の根拠が消えたということだからです。
ここで大事なことがあります。根拠が死んだ後に価格がどう動くかは損切りの正しさと関係がありません。根拠が消えたのに価格が戻ることは普通にあります。それは切ったのが間違いだったのではありません。根拠なしで持ち続けていれば、たまたま助かっていた。それだけです。私は根拠のない賭けをしないと決めました。だから根拠が消えた後に価格が戻ったかどうかは、もう数えません。
判断の質は入る瞬間と切る瞬間に何を見ていたかで測る。その後の値動きで測らない。ここを分けられた日から損切りは「失敗の証明書」ではなく、ただの手順になりました。
戻ってきたなら、もう一度入ればいい
それでも「戻ったら悔しい」が消えない方に、私が効いた考え方を一つ置いておきます。
肩の力が抜けるような答えですが——戻ってきたなら、もう一度入ればいいんです。
損切りは退場ではありません。いったんバスを降りただけです。降りたバス停にまた同じ方向のバスが来ることはいくらでもあります。価格が戻り、形がもう一度揃い、押しが踏ん張って抜けてくる。そうしたら、また同じ手順で入る。二度目の切符代として、一度目の損切りは決して高くありません。
「切らなければ勝てた」の裏には、「この機会を逃したら終わり」という焦りが隠れています。でも機会は一つの通貨だけでも年に何度も来ます。逃して困るのは機会ではなく、口座の方です。

「切らなければ勝てた」の正体は、たった一つの取引を特別扱いすること
まとめます。損切りの直後に戻る相場はこれからも何度でもあります。それは損切りの設計が壊れている証拠ではなく、設計に最初から含まれている費用です。
一つの取引の結果で手順を疑わない。手順を疑っていいのは百回並べた記録が「この手順は割に合わない」と言った時だけです。
相場は、私の損切りを見ていません。
見ていたのは、いつも私だけでした。
次に読む

——「では損切りはどこに置くのか」。幅と構造の話はこちらに全部書きました。

——判断の質と結果論を分ける、という物差しの話です。

——「もう一度入ればいい」の根拠になっている、相場の性質の話です。
では、その「入る根拠」をどう組み立てるのか。押しの踏ん張りから戻り高値の抜けまで、私の型の全体を無料の一冊で公開しています。

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本記事は私の経験と考え方の共有であり、特定の金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
投資には元本を割り込む損失のリスクがあり、最終的な判断はご自身の責任で行ってください。

