その線が重いのか軽いのかは、その線を見ても分かりません。
重いというのは「この線に届くまでは入らない」と決めて、入っていいかどうかをその線に任せることです。軽いというのは「届いていたら、少し自信が増える」くらいの扱いのことです。
ここでいう線とは、前回の高値のことです。線そのものは動いていません。同じ場所に、同じように引いてあります。それなのにある日の私はこの線を重く扱い、届くまでは何も始めません。別の日の私は届いていないまま、平気で入っています。
線を重く扱う日と軽く扱う日がある自分を、私は一貫性のなさだと責めていました。ルールが甘いから、日によって言うことが変わるのだと。違いました。線には最初から二つの役目があって、私はその二つを一つの物差しで測ろうとしていただけでした。
そして厄介なことに、どちらの役目なのかは1時間足の画面のどこにも書いてありません。答えは週足にあります。私がいま大きな流れに乗ろうとしているのか、逆らおうとしているのか——それで決まります。その理由をこれから書きます。

条件と加点は、まったく別のものです
先に言葉を分けておきます。
条件は、無ければ他が全部揃っていても入らないもの。関所です。通れなければ、その先の話は始まりません。
加点はあれば確信が増し、無くても通してよいもの。追い風です。吹いていれば嬉しいけれど、吹いていないことを理由に船を出さないわけではない。
この二つは、判断における役割がまるで違います。条件を加点として扱えば、通してはいけない場所を通してしまう。加点を条件として扱えば、通っていい場所で足を止め続ける。
そして前回の高値・安値という線は、場面によってこのどちらにもなります。同じ線が、です。
流れに逆らう時、線は条件になります
私が相場の向きの変わり目を取りにいく場面。上に向かっていた流れが下に変わろうとしている、その最初の一波を狙う場面です。
この時、私は大きな足の流れに逆らっています。まだ上を向いている流れに対して、下から入ろうとしている。当然ですが、これは分の悪い側です。だから私は、ひどく厳しい条件を課しています。
(その全体像は『流れの変わり目だけは、逆を取る。ただし条件は、ひどく厳しい』に書きました)
その条件の一枚目が、線です。
理屈は単純です。大きな流れが止まるには、大きな流れを止める理由が要る。日足に綺麗なダブルトップができていても、それだけでは足りません。日足の参加者が二度跳ね返されただけで、週足の参加者はまだ何も止まっていないからです。
止まる理由になり得るのは、週足の前回高値——過去に大勢が殴り合って決着がついた場所です。そこに届いて初めて、週足を見ている人たちの手が動く——私はそう見ています。
裏返すと、こうなります。
週足の高値に届いていない場所でできた日足の転換の形は、週足から見ればまだ押し目の途中です。
形は同じです。ダブルトップはダブルトップ。でも意味が正反対になる。だから私は線に届いていなければ、その先を見ません。形の綺麗さも、1時間足の並びも、リスクリワードも検討しません。関所を通っていないので、審査そのものが始まらない。

流れに乗る時、同じ線はただの加点です
もう一つの場面。大きな流れがすでに決まっていて、私はその流れに乗って押し目から入ります。私の取引の九割はこちらです。
この時、押しの底が過去の古傷と重なっていることがあります。古傷とは前回の安値のことです。週足や日足で上から抑えていた線が、今度は下から支える側に回った場所もそう呼びます。重なっていると、私の確信は増えます。動的な支え(その足の20本の移動平均線)と静的な支え(水平線)が同じ場所にあるわけですから、そこは固い。持ち続ける腹も、少し据わります。
けれど、重なっていないことは見送る理由になりません。
私の手元の検証でも、それは同じでした。約2.8年ぶん、27銘柄、押し目の場面506回。底が線と重なっていた場合と重なっていなかった場合とで、その後の伸び方にはっきりした差は出ませんでした。重なっていなかった側も、半分近くはそのまま走っています。
念のため。これは私の過去検証であって、これからを約束する数字ではありません。同じことをご自身の履歴でも数えてみてください。
理屈は、あとから分かりました。流れに乗る場面で私が待っているのは、流れが止まる理由ではなく流れが再開する合図だからです。止まる理由を探す装置を走り出す場面に持ち込んでも、それは仕事をしません。
ここでの線の仕事は、加点。それ以上でも、以下でもない。

私は、この二つを同じ物差しで測っていました
事故は、両方向に起きます。
一つは、加点を条件に格上げしてしまう事故。流れに乗る場面で「線と重なっていないから、まだ弱い」と見送り続ける。条件を厳しくしているつもりで、実際には自分の九割の打席を自分で削っていました。
もう一つは、条件を加点に格下げしてしまう事故。こちらのほうが高くつきました。あの頃の私は、流れに逆らう場面で形の綺麗さに引っ張られていました。日足に綺麗なダブルトップができている。1時間足の並びも整っている。線には届いていないけれど、これだけ揃っているのだから——そう考えて、まだ誰も止まっていない場所で大きな流れの正面に立っていました。乱暴だったから、ではありません。関所を加点に見せかける材料が、周りにいくらでもあったからです。揃っている材料の数が、足りていない一枚——線への到達——を見えなくする。
どちらの事故も、原因は一つです。線を見て、線の重さを決めようとしていたこと。
重さを決めているのは、線ではなく自分の立ち位置です
線の重さを決める問いは、線を見ていても答えが出ません。答えは、チャートのもっと上にあります。
私は今、大きな流れに乗ろうとしているのか、逆らおうとしているのか。
これだけです。逆らうなら、線は条件。乗るなら、線は加点。
意地悪なのは、この問いの答えが1時間足や4時間足の画面には映っていないことです。週足の流れがどちらを向いているかは、週足を開かないと分かりません。その二枚をどれだけ睨んでも、「この線は今条件なのか加点なのか」は出てこない。だから小さい足だけで判断しようとすると、その日の気分と形の綺麗さで重さが決まってしまう。私が「一貫性がない」と感じていた正体が、これでした。
順番にすると、こうなります。
- 流れに逆らう時:線に届いたか(場所)→ 大きな足が動き出したか(合図)→ 1時間足の抜け(引き金)。場所が無ければ、合図も引き金も見ない。
- 流れに乗る時:押しが耐えたか——下げが前の安値を割らずに止まったか——→ 1時間足の抜け(引き金)→ 線と重なっていれば、確信を足す。線は、最後に加点として乗るだけ。
同じ道具を、違う順番で使っています。そして順番のほうが、道具より大事でした。
- 条件=無ければ入らない関所。加点=あれば確信が増す追い風
- 前回の高値・安値という線は、場面によってこのどちらにもなる
- 流れに逆らう時、線は条件。届いていなければ審査そのものが始まらない
- 流れに乗る時、線は加点。重なっていないことは見送る理由にならない
- 重さを決めるのは線ではなく、自分が週足のどちら側に立っているか
道具に、二つの仕事を兼任させない
私のチャートには、水平線が数本しかありません。
(引く場所の話は『水平線の足は、狙う波が決めます』に書きました)
数が少ないぶん一本一本に何をさせるかを間違えると、そのまま判断が壊れます。
線に「入っていいかどうか」を聞くのをやめてから、私は迷わなくなりました。線に聞くのは、その場所に人がいるかどうかだけです。人がいるかどうかの答えを条件として扱うか、加点として扱うかは——線ではなく私が週足のどちら側に立っているかが決めている。
線は、何も変わっていません。
変わっていたのは、いつも私の立っている場所のほうでした。
この記事は、あなたの記録に負けます。開いてください。
過去に「線と重なっていないから」という理由で見送ったトレードを、10個だけ並べてみてください。そして1件ずつ、そこに一行だけ書き足します——その時私は流れに乗ろうとしていたのか、逆らおうとしていたのか。
乗ろうとしていた側に印が集まったなら、あなたが捨ててきたのは弱い場面ではありません。関所と加点を取り違えたまま、通っていいはずの門の前で足を止めていただけです。
分類してみて、どちらの事故が多かったか。よければ、メールの返信で一行だけ教えてください。「10個中7個が、乗る側でした」——それだけで十分です。並べてみたけれど判断がつかなかった、という報告も歓迎します。そこが一番、面白いところなので。(受け取っていない方は、下のご案内から。)
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——今日「関所」と呼んだ条件が、全部で何枚あるのかの話です。

——そもそも、どこに線を引いているのかの話です。

——線に人がいる、とはどういう意味かの根っこの話です。
条件と加点を取り違えないための順番を、最初から最後まで無料の一冊に置いてあります。

【ご確認ください】
本記事は私の経験と考え方の共有であり、特定の金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
投資には元本を割り込む損失のリスクがあり、最終的な判断はご自身の責任で行ってください。

