きのうチャートを合計で何分見ていたか、答えられますか。
私は答えられます。数分です。朝に数銘柄を1分ずつ。日中は4時間ごとに、狙いの形が育っているかを確かめるだけ。それで終わりです。
暇だから短いのではありません。我慢して短くしているのでもありません。勝てなかった頃の私のほうが、よほど長く見ていました。
見る時間を削る話はしません。この記事で見せるのは、なぜ数分で足りてしまうのかという仕組みの側です。仕組みが分かると「時間がないから勝てない」という前提のほうが崩れます。

「何かないか」で見ると、何かは必ず見つかる
勝てなかった頃、私は帰ってから寝るまでチャートの前にいました。
見ている時間を、努力として数えていたからです。今日はこれだけ見た。これだけ見たのだから、うまくなっているはずだ。そしてこれだけ見たのだから——何かして帰りたい。
画面に向かう時の頭の中は、いつも同じ一言でした。
何かないか。
探しにいく目は、何でも見つけます。探す目に対して、相場はいくらでも「ありそうな形」を差し出してきます。上がりかけの陽線。反発しそうな安値。いま思えば、長く見た日ほど余計な注文が増えていました。
時間だけなら、誰にも負けていなかったはずです。足りなかったのは時間ではありませんでした。
見る時間は、決めようとしている量で決まる
チャートを見る時間の長さは、視力でも熱意でも決まりません。その画面の前で決めようとしていることの量で決まります。
「入るべきか」を画面の前で考え始めると、視線は終わりません。答えが次のローソク1本に書いてある気がして、その1本を待ってしまう。1本待てば、また次の1本が気になる。問いが開いたままだと、視線はこうして延長され続けます。何時間見ても足りないのは、時間の問題ではなく問いが閉じない問題です。
私がチャートを見る時間が短いのは、画面の前で「入るべきか」を考え始めないからです。
何を狙うかは週末に決めてあります。どこまで来たら入るかも、どこを割ったら諦めるかも、条件の形まで決めてあります。だから平日の視線がやることは、条件が揃ったかどうかの確認だけです。確認の答えはYesかNoしかなく、YesかNoは見た瞬間に出ます。

私の平日は、問いが三つしかない
具体的に、平日の視線の中身を全部見せます。
問いは「寝ている間に、前提が崩れたか」。崩れていなければ、閉じます。
4時間足が一本閉じるたびに開きます。問いは「狙っている押し戻りが、育っているか」。育っていなければ、閉じます。
問いは「注文を置ける形まで来たか」。来ていたらネックラインの少し外に逆指値——先に仕掛けておく注文——を置いて、離れます。
三つとも答えはYesかNoで出るので、一回見るのに1分で済みます。
置いた注文のその後は、相場が決めます。抜ければ入り、抜けなければ入らない。ここに私の出番はありません。むしろ画面の前にいると、置いた注文を触りたくなる。だから置いたら離れるところまでが、注文の置き方です。
出席は毎日。滞在は数分
ここまで読んで、「見なくていいのか」と受け取らないでください。逆です。
私は平日にチャートを開かない日はありません。開くこと自体は、一日も休みません。週末に決めた前提が、平日のどこかで崩れていないかを確かめるためです。
ただ、開くことと居座ることは別です。
出席は習慣の話で、滞在は判断の話です。出席をやめると相場が読めなくなり、滞在を延ばすと余計なことをしたくなる。この二つを分けてから、チャートとの距離がちょうどよくなりました。

毎日開く。長くは見ない。
減らしたのは、チャートを見る時間ではありません。
チャートの前で決めることです。
次に読む

——この平日の数分は、週末の3分が前提です。週の起点はこちら。

——浮いた時間の使い道。この運用の目的地です。

——「出席だけは休まない」理由を、こちらで書いています。
朝と日中の1分で何を確認しているか、その中身(移動平均線の設定と待つ形)は無料の一冊に図解で載せています。

【ご確認ください】
本記事は私の経験と考え方の共有であり、特定の金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
投資には元本を割り込む損失のリスクがあり、最終的な判断はご自身の責任で行ってください。

