なぜ私は自分の意見をあとまわしにして、いちばん大きな足の向きに従うのか。
その問いに答えられるようになるまで、私は逆をやって負け続けました。
「ここは下げすぎだ、戻るはずだ」——
自分の見立てを相場にぶつけては、押し返されていた。
その癖が抜けたのは、相場の値段が何でできているかを腹で理解した日でした。

あの値段は、あなたが決めたものではない
目の前の価格は私一人が決めたものではありません。
世界中の無数の参加者がそれぞれの理由で買い、売り、
その綱引きが今この一点に収束した結果です。
値段とは、市場全体のコンセンサス(多数派の合意)がたまたま今いる場所のことです。
では、その多数派のいちばん濃い結論はどこに出るか。
私はいちばん大きな足——私の場合は週足——の向きだと考えています。
短い足はその日の気分やノイズで上下に揺れる。
けれど大きな足の向きは長い時間をかけた大勢の判断が積み重なって、簡単には変わらない。
あれは「多数派のいちばん固まった結論」の表示です。

私の意見は、一票にもならない
ここで自分のサイズを直視します。
あの綱引きの中で、私の見立ては何票ぶんか。
正直に言えば、一票にも満たない。
市場という群衆の中で、私一人の「こう思う」は価格を一ミリも動かしません。
その事実を受け入れた瞬間、戦い方が変わりました。
「自分はこう思う」を握りしめるのをやめて、
「多数は今どちらを向いているか」だけを見るようにした。
逆らうとは、多数派の全員を相手に一人で賭けることです。
勝てるはずが、ありません。
たまに勝ててもそれはこちらが強かったのではなく、群衆がたまたま向きを変えただけです。
ここはあえて思想の話に集中します。
具体的に「どの足から、どの順で見るか」という手順は別記事に譲ります。
(→別記事『向きは、あなたが決めるものではなかった』)
本記事の核は一点だけ——
なぜ自分の意見を捨ててまで従うのか、です。
「従う」と「群がる場所を避ける」は、矛盾しない
ここで自分でも一度つまずいた疑問を先に潰しておきます。
私は別のところで「みんなが群がっている場所に旨味はない、群衆の逆へ」とも書いてきました。
(→別記事『買い増した銘柄は、ホームページごと消えた』)
今回の「多数決に従え」と正面からぶつかって見えるはずです。
和解は、こうです。
従うのは大きな足の「向き」であって、群衆が殺到している今この瞬間の値に飛び乗ることではありません。
向きは、多数決に従う。
けれど乗る場所はまだ誰も騒いでいない、走り出す前の静かな初動を選ぶ。
みんなが「上がってる、買え」と沸いて値が伸び切ったところに飛び込むのは
向きに従っているのではなく、群衆の熱狂に巻き込まれているだけです。
向きは多数派の方向に、タイミングは群衆の手前に。
この二つは、別の層の話なので矛盾しません。

- 値段は、市場全体の合意がたまたま今いる場所
- 多数派のいちばん固まった結論が、いちばん大きな足の向き
- 逆らうとは、多数派の全員を相手に一人で賭けること
- 従うのは「向き」であって、群衆が殺到している値に飛び乗ることではない
- 向きは多数派の方向に、タイミングは群衆の手前に

「当てにいく」のは、挑戦ではなくただの傲慢でした
私はもう相場を「当てる」対象だとは思っていません。
当てるとは、群衆より自分のほうが正しいと賭けることです。
一票未満の私が市場全体に「お前たちは間違っている」と賭ける——
それは挑戦ではなく、ただの傲慢でした。
その傲慢で、何度も負けました。
一つ、はっきり覚えている場面があります。
ある通貨が長く下げ続けていて私は「さすがにもう下げすぎだ、ここから戻る」と思い込み、
大きな足の下向きを無視して買いを入れました。
最初は少し戻って、「やっぱり」と思った。
けれど、それは下げ続ける流れの中のほんの一呼吸でした。
価格はすぐに向きを取り戻し、私の買値の下をさらに割っていった。
総意に逆らった一枚は群衆が下へ動くたびに、含み損がみるみる深くなる。
本来なら決めた損切り幅ひとつぶんで収めるはずの一回が、その2倍にも3倍にも膨らんだ。
逆らったのではない。
多数派の全員を相手に一人で賭けて、当然のように負けただけでした。
群衆が味方か、敵か。それだけの差でした
多数派に乗った一枚は間違えても傷が浅く、合えば群衆が私の利益を運んでくれます。
逆らった一枚は合っても群衆がいつ向きを変えるか怯えながらの薄利で、外れれば全員が反対側にいる。
同じ損益比(1回の負けに対して勝ちが何倍か)を狙うのでも従う側は群衆が味方、逆らう側は群衆が敵。
立ち位置からして、勝負になっていませんでした。
私は自分の見立てを握りしめるのをやめました。
一票にも満たない意見で群衆に挑むより、多数派の向いた先に静かに一枚を預ける。
当てにいくのではなく、従いにいく。
それだけで、相場は急に敵から味方に変わりました。
私はもう、相場に「自分が正しい」と認めさせようとしません。多数派の向いた方向に一枚を預ける。それだけです。
次に読む

——多数派の「一番濃い結論」が、なぜ週足に出るのか。その数的な根拠です。

——群衆が騒ぐ前の「静かな初動」。私が賭ける一点の話です。

——多数決が「なぜその場所で走り出すのか」。お金の側の答えです。
開票結果にどう従い、どこで乗るのか。私の「一票の入れ方」は、チャートの設定も含めて無料の一冊に隠さず書きました。

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本記事は私の経験と考え方の共有であり、特定の金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
投資には元本を割り込む損失のリスクがあり、最終的な判断はご自身の責任で行ってください。

