買い増した銘柄は、ホームページごと消えた

人生でいちばん大きく投資でお金を失ったとき、私はみんなと同じ場所に立っていました。

盛り上がっている相場。誰もが「上がる」と言い、タイムラインは利益報告で埋まり乗り遅れることだけが怖かった。私が手を出したのは、ある草コインでした。そして——下がるたびに、買い増しました。「ここまで下げたなら、もう底だろう」「平均取得単価が下がれば、戻ったときに楽になる」と。

戻りませんでした。最後は取引所から取り扱いが消え、運営のページごと無くなりました。
(あの夜の一部始終は『私という人間』に書いています)
私が握っていたのは、いつか戻るかもしれない含み損ではありませんでした。売り先そのものが消えた、ただの数字でした。気づけば、人生の歯車が何枚か欠けるくらいの金額だけが手元から消えていました。

あの夜、薄暗い部屋で私はもう動かない数字をただ見つめていました。何も、考えられませんでした。「みんなが見ていた場所に、なぜ旨味は無かったんだろう」——この問いを持てるようになったのは、ずっと後のことです。

この問いが、今の私のすべての出発点です。今日はいちばん払いたくなかった授業料で買った、たったひとつの気づきの話を書きます。

目次

みんなが見ている場所には、もう旨味が残っていない

溶かしたあと長いこと考えて、ようやく腑に落ちたことがあります。全員が同じ方向を見て全員が同じ場所に群がっているとき、その場所の旨味はもう食べ尽くされている。

答えは、拍子抜けするほど単純でした。

誰もが「上がる」と確信して買い切ったあと、次に価格を上げてくれる新しい買い手はもう残っていません。買いたい人が全員買い終わった瞬間が、天井です。タイムラインが歓声で埋まるときは、たいてい宴のいちばん最後でした。

私はその歓声を「安心」と勘違いして、最後の客として高値を掴んでいたんです。群衆の安心は、私にとって警報だった。

これに気づいてから、私の見る方向がぐるりと反対を向きました。みんなが盛り上がる「いちばん美味しそうな場所」を、私はもう取りにいかない。そこは、残りカスだからです。

私は、走り出す側に回った

では、どこに旨味が残っているのか。まだ誰も騒いでいない、流れが静かに走り出すその初動です。

派手に走りきった天井でも、転換を当てにいく一発勝負の底でもありません。流れが一度ペースを落として静かに一服し、また走り出すその地味な出発点。ここは、群衆がまだ気づいていない。歓声も上がっていない。だからこそ、そのあと走る一番おいしい胴の部分がまるごと残っている。

みんなが騒いでから買うのをやめました。騒ぐ前の、流れが静かに走り出すところで入る側に回りました。

これは、性格的にも合っていました。

私は、大勢の中で声を張り合うのが得意ではありません。賑やかな場所で「私も、私も」と手を挙げ続けるより、誰もいない静かな場所で一人で淡々と仕掛けて待つほうがずっと性に合っている。

皮肉なものです。いちばん払いたくなかった損失が、いちばん自分に合った立ち位置を教えてくれました。

だから私は、賑やかな勝ち方を売らない

ここで、私の立ち位置をはっきりさせておきます。

派手に当てて見せる勝ち方も群衆と一緒に盛り上がる勝ち方も、私には扱えませんでした。器用な人なら乗りこなせるのかもしれない。でも私は、そこで身銭を溶かした側の人間です。買いたい人が全員買い終わった場所には、次に買ってくれる人がもういない——その需給の事実に高い授業料を払って気づかされた。

だから、みんなが群がる場所を私はもう取りにいきません。気持ちの逆張りではなく、買い手が尽きているというただの算数の問題として。

私が淡々と続けるのは、一つだけです。流れに乗る。損は小さく決めておく。利益はその3倍ほど伸びるまで待つ。一回ごとの勝ち負けに一喜一憂せず、割の合う場所だけで何度も繰り返す。賑やかさはありません。

だからこれを読んで「退屈そうだ」と感じたなら、たぶんあなたと私は合いません。それで、構わないんです。私は、賑やかな場所がいちばん危ないと身銭で知ってしまった人間なので。

——あの夜残高を見つめていた自分に、いま伝えたいことがあるとすればひとつだけです。お前が失ったのは、お金じゃない。「みんなと同じでいれば安心だ」という、いちばん高くついた勘違いだ。それを手放せたことをいつか「払ってよかった授業料」と呼べる日が来る、と。

あなたがもし今まさに群衆の歓声の真ん中にいるなら、これだけは胸に置いておいてください。みんなが安心している場所は、たいていいちばん高い場所です。

私を信じるなら、群衆を信じていた頃と同じです

——とはいえ、です。
ここまで読んで私の言葉を信じたなら、それもまた「みんなが見ている場所」に立ったのと同じことになりかねません。

私は「群衆を信じるな」と書きながら、あなたに私を信じさせようとは思いません。それでは信じる相手が群衆から私に変わっただけで、自分の頭で確かめていないという点は何ひとつ変わらないからです。本物かどうかは、私が決めることでも誰かの利益報告が決めることでもない。あなたが自分のチャートで何十回も「みんなが騒いだ場所」と「静かな初動」のその後を自分の目で並べて見比べたときに、初めてあなたの中に立ち上がるものです。

だから、私を疑ってください。そのうえで、自分のチャートに確かめにいってください。答えは、いつだって私の外にあります。


次に読む

——この喪失の先で、生き方ごと裏返った話の全体です。

——「静かな初動」の正体。群衆と逆側に立つ技術です。

——騙される側にいた人間が決めた、発信のスタンスです。

群衆が騒ぐ前の「静かな初動」を、私がどの画面のどこで待っているか。チャートの設定ごと、無料の一冊『たった一つの形』に置いてあります。

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【ご確認ください】
本記事は私の経験と考え方の共有であり、特定の金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
投資には元本を割り込む損失のリスクがあり、最終的な判断はご自身の責任で行ってください。


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この記事を書いた人

トレードの本質を語ります。聖杯も未来を言い当てる方法もありません。あるのは相場の流れを見極め、優位性が生まれるまで待ち、間違えたら撤退するという地味な積み重ねだけです。私を信じる必要はありません。すべてご自身のチャートで確かめてください。

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