告白から始めます。勝てなかった頃の私のチャートは線で埋まっていました。
トレンドライン、チャネル、フィボナッチ、意識されてそうな水平線を何本も。どこに引けばいいのかは、そもそも分かっていませんでした。適当に引いていたし、分からなくて引けないこともあった。それでも分析した気分になれるので、線は増える一方でした。夜中に引いた線が翌朝には意味を失っていて、また新しい線を引く。そのうち、どの線を根拠にしていたのか自分でも分からなくなる。
ある日、それを全部消しました。消して初めて分かったことを、書き残します。

自分で引いた線は、自分の願望でできている
線を消す決心がついたのはあることに気づいたからです。特に斜めの線——トレンドラインは引く人によって答えが変わります。
どのヒゲとどのヒゲを結ぶか。終値で引くか、高値で引くか。少し角度を変えれば、「反発する場所」はいくらでも動かせる。つまり私は相場の構造を描いていたのではなく、こう動いてほしいという願望を線の形で清書していたんです。
願望で引いた線はよく当たるように見えます。当たった時だけ覚えているからです。そして肝心な場面では、私に都合のいい嘘をつく。
残したのは、「他人が引いた線」だけ
全部消したあと、私のチャートに戻ってきたものは2種類だけです。
一つは、前回の高値と安値に引く水平線。これは私の作為が入りません。誰が見ても同じ場所にあり、市場の全員に見えていて、値動きが実際に何度もそこで止まってきた線です。
もう一つは、移動平均線。これは計算式が引く線で、私の願望は1ミリも混ざりません。誰が表示しても、寸分違わず同じ場所に出ます。

共通点に気づいてもらえるでしょうか。どちらも、私が引いた線ではないんです。私の解釈ではなく、市場の事実だけが引ける線。残すのはそれだけにして、私の作為はチャートから追放しました。

消して、初めて聞こえたもの
線を消した直後のチャートは心細いほどがらんとしていました。
でも数日で逆のことが起きました。ローソク足と数本の線だけになった画面は静かなんです。判断に使う材料が「流れの向き・前回の高安・線と価格の距離」と、指で数えられる数になった。迷いの量はそのまま情報の量だったと、消してから知りました。
分析が上手くなりたくて線を増やしていた頃の私に言うなら、こうです。腕は足し算では上がらなかった。チャートの上で自分の声を消して、市場の声だけを残すこと。私の場合それが引き算の正体でした。
がらんとした画面に、値動きだけが残る。
分析とは、そこから始まるものでした。
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——見る「量」の引き算。この記事の姉妹編です。

——線の次は道具の引き算。増やす心理の解剖です。
『水平線の足は、狙う波が決めます』〔🔗カード〕
——残した数本を、実際にどこへ引いて何をさせているかの運用編です。
私のチャートに残っている移動平均線が何本で、どの設定なのか。がらんとした画面の中身を、そのまま一冊にして配っています。

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本記事は私の経験と考え方の共有であり、特定の金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
投資には元本を割り込む損失のリスクがあり、最終的な判断はご自身の責任で行ってください。

