祈り始めた時、根拠はもう死んでいた

みっともない話から始めます。

「頼む、戻ってくれ」。

含み損の画面に向かって、本気でそう唱えていた時期が私にはあります。仮想通貨で大きく溶かした頃の私は下がるたびに買い増して、あとはもう祈っていました。分析でも戦略でもなく、文字通りの祈りです。

「お祈りトレード」という言葉があります。自嘲として使われる言葉ですが、私はこの言葉、実はとても正確だと思っています。祈りが始まる瞬間にははっきりした意味があるからです。

その中身から、話を始めます。

目次

祈りは、根拠の死亡通知

考えてみてほしいのですが、根拠が生きている間人は祈りません。

流れが出ていて、押しが耐えて、狙った線を抜けて乗れている。そういうポジションを持っている時、心のなかにあるのは「予定どおりかどうかの確認」であって祈りではありません。祈る必要がどこにもない。

祈りたくなるのは入った理由がもう説明できなくなった時です。「上がると思ったから」の“思った”が外れて、手元に理由が残っていない。理由の空席に願望が座る。それが祈りです。

つまり祈りとは弱さでも性格でもなく、通知なんです。あなたの根拠はもう死んでいます——そう知らせてくれる、正確な通知。

根拠には、生き死にがある

この見方に立つと、やるべきことが変わります。

入る根拠を「気がする」ではなく、生き死にを判定できる形で持つこと。私の場合、根拠はいつも構造です。大きな足の流れが出ている。一度戻ってできた谷が深く割れずに耐えた。節目の線を抜けた。この3つが私がポジションを持っていい理由のすべてです。

構造は生きているか死んだかがチャートの上で判定できます。押しが深く割れたら死に。流れの節目を実体で割ったら死に。曖昧さがありません。

そして、死んだ根拠のポジションはもうトレードではありません。理由を失った持ち物はただの願望です。願望に口座を貸してはいけない——それを私は2,000万円で学びました。

祈る場面を、設計から消す

とはいえ「根拠が死んだら潔く降りる」を意志の力でやるのはたぶん無理です。少なくとも私には無理でした。だから、祈る場面そのものが来ない設計にしています。

やり方は単純で、入る注文と同時に損切りの注文を置く。置く場所は根拠が死ぬ地点です。その谷の底の少し外——そこを割ったら構造が壊れる、という一線。

こうしておくと、根拠の死亡とポジションの終了が自動で同時に起きます。祈りたくなる頃には私はもう外にいる。祈る時間そのものが存在しなくなるんです。

いまでも私は祈ることはあります。家族の健康とか、そういうもののために。ただ、チャートの前では祈りません。祈らずに済む場所にしか立たないと決めたからです。

祈りは、通知だった
  • 根拠が生きている間、人は祈らない。祈りは「根拠が死んだ」という正確な通知
  • 入る根拠は「気がする」ではなく、生き死にを判定できる構造で持つ
  • 私の根拠は3つ。大きな足の流れ/一度戻ってできた谷の耐え/節目の線の抜け
  • 死んだ根拠のポジションはもうトレードではなく、ただの願望
  • 入る注文と同時に、根拠が死ぬ地点へ損切りを置く。祈る時間そのものが消える

次に読む

——「根拠を構造で持つ」の中身。なぜそこで動くのかの理由です。

——祈りを生んでいる本体との付き合い方です。

——「根拠が死ぬ地点」に損切りを置く、その置き方の話です。

流れ・押しの耐え・線の抜け。この「生き死にを判定できる根拠」三つをどの画面でどう読むか、無料の一冊に整理してあります。

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【ご確認ください】
本記事は私の経験と考え方の共有であり、特定の金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
投資には元本を割り込む損失のリスクがあり、最終的な判断はご自身の責任で行ってください。


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この記事を書いた人

トレードの本質を語ります。聖杯も未来を言い当てる方法もありません。あるのは相場の流れを見極め、優位性が生まれるまで待ち、間違えたら撤退するという地味な積み重ねだけです。私を信じる必要はありません。すべてご自身のチャートで確かめてください。

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